◇花の香匂い、言の葉揺れる
宇髄からの手紙には、いつも草花が添えられている。
撫子、桃、菫、南天。季節の訪れを感じさせるような可憐な花がひとつふたつ、綺麗に折り畳まれた手紙の間に、そっと身を寄せている。
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宇髄は筆まめな男だった。柱となって日が浅い頃、任務で一緒になった時やり取りをした字は、本人が自負する通りの美しく派手な外見からすると意外なほど、細やかで実直だった。
『煉獄杏寿郎様 拝見青葉若葉の好季節、如何お過ごしでしょうかー』
あれから何度文を交わしただろう。柱になって幾数年、彼から送られた手紙は随分増えた。黒塗りに梅と鶯の描かれた文箱には、たくさんの手紙が大切にしまってある。自室に帰っては、文箱に重ねられた彼の手紙を開き、想いを馳せる。
『…追伸 任務が長引いてるが、次は必ず牡丹を見に行こう』
手紙に添えられた花は、花弁が壊れないよう大事に挟み込んである。上等の透かし模様が入った手紙を開き、優しい色合いの押し花が顔を出すとき、俺はふと頬が緩み、肩の力が抜けるのを感じた。
なぜ毎回花を添えてくれるのか、1度尋ねたことがある。すると彼は、
『煉獄が花を見てどう思ったか想像してぇんだよな』と笑った。
宇髄は風流な人間だとつくづく感じる。その時節の花を愛で、その時々の旬の物を愛し、古来より続く種々の行事を大切にする。
彼は、酒を交わした際に、『忍びの時分にそのような事に親しまなかったからこそ、今は大切にしたい』とも言っていた。
『おう煉獄、花見に行かねぇか。満開とまではいかねえが、浅草の桜が派手に咲いてるってよ』
鬼殺に暮れていると、時の移ろいを忘れてしまう。だから、宇髄が時々攫うかのごとく俺を季節へと誘ってくれることが楽しくてたまらなかった。
そうして手紙でも、言の葉とともに美しい花をもって俺を慰めてくれることが、彼に対する仄かな想いを一層募らせた。
ーしかし
(想うだけで良い。所詮俺は一介の同僚に過ぎん。こうして手紙を呉れるだけで、幸せだ)
この想いは、文箱の中の手紙のように、大切に閉まっておこう。
文箱に、幾重にも積もっていくあたたかな手紙の上を俺はそっと撫で、そっと蓋を閉じた。
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ある日、柱に就任した祝いとして、甘露寺を誘って食事をした。甘露寺は真面目で、思いやりに溢れた可愛らしい弟子だ。その彼女が柱となり周囲を勇気づけるさまは、師として誇らしくなる。
「とっても美味しいです〜!ふわふわで、甘くて素敵だわ〜!」
「そうか!それは良かった!たくさん食べると良い!」
「はい、ありがとうございます、師範!」
評判のホットケーキが出る店で、近況を報告しながら談笑する。ころころと変わる笑顔は見ていてとても面白く、話が弾む。
その話の中で甘露寺が、柱になった時に世話になったという小芭内から、文のやり取りをしないかと言われ、交流を重ねていると聞いて、俺はとても喜んだ。
甘露寺は大事な継子で、小芭内は幼少から親しみのある大事な友だ。小芭内が以前炎柱邸に来訪した時に初対面し、柱となってからもそれとなく気を遣ってくれているらしい。2人が仲を深めるのは嬉しく、2人の手紙について話を聞くことは興味深かった。
「俺も宇髄と手紙を良くするが、やはり親しく感じる人から手紙を貰うのは嬉しいな」
だからふと、自分も同じように、宇髄と手紙を交わしていると話した。甘露寺は、師範は宇髄さんと仲が良いんですね!とキラキラとした顔で微笑み、どんな手紙のやり取りをしているのですか?と聞いてきた。
やや照れくさい気持ちになりつつ、宇髄との手紙のやり取りについて、話し始めた。
「わあ!お花が添えてあるなんて素敵!ロマンチックですね!」
「宇髄は風流な男だからな!俺が季節をあまり気にしないからか、良く贈ってきては、どうだったか聞いてくる」
「まあ!可愛らしいわ〜!」
手紙に添えてある花や、折を見て会う宇髄とのやり取りを話すと、甘露寺は頬を桃色に染めて前のめりになった。宇髄を褒められて居るようで嬉しくなり、自然と口角が上がった。
甘露寺はにこにこと続けて、どんなお花が添えられているんですか?と聞いてきた。
「初めて貰ったのは、可愛らしい撫子だったな。その次は桃の枝で、春が来たぞと書かれていたのを覚えている。あとは白い菫もだったな。南天が贈られてきた時もあったかー」
羅列する度、手紙を受け取って心を弾ませ、何度も字をなぞった記憶が蘇る。添えられた花の香りも、まるで手に取っているかのように思い出せるのが不思議で面白かった。
甘露寺はふんふんと楽しそうに聞いていたが、話を聞いているうちに何かに気がついたのか、口元に手をやっていた。
「甘露寺?どうかしたか?」
「あ、あの、師範。花言葉って知ってます?」
「む?いや、初めて聞いたな」
「贈る花には意味があるんです。たとえば菊には『高貴』って意味があって…」
「なるほど!甘露寺はよく知っているな」
女性らしい甘露寺は、よく花を愛でていた。花言葉にも精通しているとは、実に教養深いと関心する。
続けて話す甘露寺の頬は、ふんわりとした桃色から、やがて薔薇色に染まっていった。
「わたし、宇髄さんも花言葉を知っていると思うんです」
「確かに宇髄なら知っていそうだな」
「それで…師範に贈られた花なんですけれど」
甘露寺が、花の名前と花言葉を、そわそわとしながら紡いでいく。
撫子は純愛、
桃は私はあなたのとりこ、
菫は真実の愛、
南天は私の愛は増すばかりー
その響きは祈りの言葉のように厳かで、祝福を受けるかの如く清らかなのに、どうしようも無く心を揺さぶる、衝撃的な言葉だった。
「どれも全部、愛情を感じる花言葉ばかり…きっと宇髄さんは、煉獄さんのことが、とっても好きなんですね」
きゃー!素敵だわー!と、甘露寺がもはや林檎のように真っ赤に染まった頬に手を当てて、身をひねる。
俺はというものの、宇髄から贈られた花が、こんなにも意味を持つことに驚いていた。
(…宇髄)
彼の想いが、言の葉としてひらひらと心の臓に落ち、染み渡る。愛しい想いは染み渡って、水面に打つような波紋となっていく。
居てもたっても居られず、思わず腰が上がったその時だった。
「カァー!カァー!」
「虹丸!」
キラキラと光る宝石を纏った鴉が、空から舞い降りてくる。宇髄の鴉の、虹丸だった。外に待機していた要や、甘露寺の鴉の麗が、カアと一鳴きして虹丸を招いた。
「まあ!たしか宇髄さんの鴉でしたかしら?口に何か紙を咥えているわ」
きっと、宇髄からの手紙だろう。心臓がやけに音を立てている。虹丸がスっと歩み寄り、嘴に挟んだ手紙を恭しく渡してきた。
手紙を受け取って表を見ると、やはり宇髄からだった。癖のない丁寧な字で、煉獄杏寿郎様と書かれている。それだけを見て、心臓が一層音を激しく鳴らすのを感じた。
「宇髄からだ」
手紙が少し盛り上がっている。中に何かが入っているからだ。いつも厚みは違うが、開いてみるとそれは花だった。
今日は何が添えてあるのか。甘く刺激的な香りが、俺の心情を表すかのようにほんの少しだけ感じられる。
かさりと音を立て手紙を開くと、橙色のカーネーションが姿を表した。出先から書いたのだろうか、手紙は思ったよりも短く書かれている。
しかしその内容は、俺を掻き立てるのに十分だった。
『銀座に用があって、切り花をもらった。綺麗な赤橙の花弁を見て、真っ先にお前を想った。俺の気持ちを花に託す』
「宇髄…!」
カアと声を上げ、虹丸が羽を広げる。ふわりと飛び上がって空を旋回すると、こちらの方をちらりと見た。
まるで俺を、どこかへと誘うように。
「すまない甘露寺、急用が出来た!先に失礼する!」
「し、師範!大丈夫です!私に構わず、行ってください!」
「ありがとう!」
後でどうだったか教えてくださいねー!と、後ろから手を振る甘露寺を背に、俺はいきおい走り出した。
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(この想いを彼に伝えたら、どんな顔をするだろうか)
いつの間にか街を抜け、郊外に辿り着いた。新緑の瑞々しい竹林を駆ける。人気はなく、虹丸と要が先んじて進み羽を動かす音が響いた。速度を落としているから、きっと彼が近いのだろう。
ふと、どこかで嗅いだような香りがした。少し甘くて、鼻腔を突くような香りだ。何だろうかと思案していると、視界に美しい銀糸が見えた。びろうどのように七色を変え、竹林の隙間を縫って射しているきらきらとした光を纏い、いっそう輝いている。
「宇髄!」
彼が振り向く時風が吹き、銀糸がさあっと舞った。銀糸の隙間から見える濃い色合いをした紅玉の瞳が俺を映し、涼やかな目元が優しく細められる。
「煉獄!」
張りのある良い声が、俺の名を呼ぶ。その呼び声を合図に、俺はぐっと踏み込み、思い切り跳ねた。宇髄が慌てて腕を拡げたのが見える。
そのまま引き寄せられるように、彼の胸の中へ飛び込んだ。
「会いに来てくれたのか?」
宇髄が言いながら、俺を優しく地へと降ろす。逞しい腕の中に、俺の身体はぴたりとおさまった。まるで初めから、そこが自分の居場所であったかのように。ぐいと胸に顔を擦り寄せると、彼の暖かな手が俺の髪をそっと撫でた。
(…気持ちが良い)
しばらくそのまま、彼の腕の中、彼の掌を感じていたが、ややあって恥ずかしさが湧いてきた。
「宇髄…」
「ん?」
前髪越しにちらりと顔を覗き見ると、端正な顔を緩め、愛おしそうに己を見ている彼に気がついた。俺からの呼び掛けに応える声は甘い。耳元に直に入ってくる声に、段々と頬が熱くなってくる。
「君から貰った手紙を見てとても嬉しかった!返事をしたためようとしたんだが、つい走って来てしまった!」
背の高い彼は、顔も高い位置にある。自然と見上げつつ、少し声が上擦ってしまったが、手紙を貰ってとても嬉しかったことを、どうにか伝えようとした。
宇髄はやがて、俺の後頭部に手を添え、ぎゅっと抱き締めてこう言った。
「せっかちなやつだなあ」
彼の声があまりに幸せそうだったから、それだけで胸が満たされた気持ちになった。胸元に仕舞った手紙がかさかさと音を立てて、甘く刺激的な香りがまた立ち上る。
(そうだ、先程香ったのも、このカーネーションの香りだ)
「…甘露寺に花言葉を教えて貰った。
ただ、このカーネーションだけ花言葉を聞くのを忘れていたな」
「そっか、じゃあ」
抱き締めてくる彼の整った顔が、近づいてくる。耳にあたたかな息を感じ、宇髄の唇が触れたような気がした。
ーうちの屋敷で、答え合わせしようぜ。
はっと見上げた先には、きらきらと光彩を放つ銀糸の中で微笑む、悪戯な彼の顔が見えた。
贈られた彼の想いと、文箱に仕舞っておいた俺の想い。きっと想像していたよりも、ずっと穏やかに通じ合うことが出来るだろう。
俺は彼の後頭部に手を添え、油断しきっている彼を、返事の代わりに強く強く抱き締めた。