◇俺だけのモナ・リザ
ざあっと風が吹き、窓際のカーテンがふわりと舞う。窓から、風に攫われた桜の花びらが、ひらひらと入り込んでくる。薄桃色のカーテンに、淡い桜のコントラストが綺麗だった。
しかしそれよりも、その鮮やかな色合いの中で、ひときわ輝く黄金の鬣が靡いているのに、俺はすっかり目を奪われた。カーテンと遊ぶように、風と戯れるように、さらさらと音を立てて、美しく揺れている。そっと手を伸ばして、こちらを振り向いている彼の横髪に手を伸ばす。
ふふ、と彼が擽ったそうに微笑んだ。
「なんだ、動いてしまっていいのか」
そう言って、彼の笑みが眩いばかりに咲く。まるで花桃が綻んだような美しい笑みに、俺はすっかり見蕩れてしまう。彼の頬に手を伸ばすと、その掌に彼の頬が寄せられ、すり、と擦り寄ってくれた。愛くるしくてたまらない。
「…今日は終わり。このまま、メシいこうぜ」
もう片方の手に持っていた平筆を置く。瞬間、両手で彼の頭を抱きしめると、ぱっと離れて画材を片付けはじめた。
良い歳をした大人の顔は、どちらもほんのりと赤い。それを隠すかのように、お互いせかせかと手を動かした。
(ホントはもうちょい描いておきたかったけど)
窓際に立って振り返る彼を描くのは、非常に創作意欲が湧いた。まだ筆を走らせていたかったが、今はもっと生身の彼を味わいたいと思う気持ちには敵わない。
「宇髄、あとどれぐらいで出来上がりそうだ」
「ん〜…どうだろうな。今日は大丈夫だったけど、またお前の腹が鳴ったらしばらく掛かるかもなぁ」
「ぬう…!ぜ、善処しよう…!」
「ハハ!良いって、そんなすぐ出来上がるもんじゃねえし、出来るまで付き合ってもらうから」
「うむ!」
煉獄に手伝ってもらいながら、美術室を片付ける。あらかた片付いたため、彼には車を用意してもらうよう頼み、先に行かせた。薄暗くなった美術室に、静寂が満ちる。
(…あ)
ふと目を上げると、先程まで描いていたイーゼルが目に入った。窓際の前に、ひっそりと佇んでいる。先程のモデルをしてくれていた煉獄と同じ場所だった。
あと少しで落ちるだろう夕焼けの光を背に、キャンバスの中で煉獄が微笑んでいる。その微笑みの美しさは、例えるならばあの有名なモナリザのように、人を惹き付けるほどだと思った。
(俺だけの、モナ・リザ)
ルーヴルで数多の人々に囲まれ微笑みを絶やさない彼女は、物珍しそうに群がる輩をどう思っているのだろう。彼女の微笑みは、人を惹き付けてやまない。本物を見た時は、たしかに美しく目を引かれた。何を思っているか分からない、しかしどこか安堵する、美しい微笑み。そんな微笑みを描くには、どうすれば良いかと思ったこともある。
しかし俺は、俺だけのモナリザを、見つけてしまった。俺を引き付けてやまない、美しい男。
彼を見る度心が踊り、彼が俺に微笑むだけで、世界が輝いて見える。この腕の中に抱き留めておいて、そのまま閉じ込めてしまえればとすらと思う。もちろん、そんな事をしてしまえば、彼の笑みは翳るだろうから、する事など全くもって無いが。
それほどまでに惹き付けられる彼のその微笑みを、ならばこのキャンバスに描き止めておこうと、筆を取った。本物にはまだまだ敵わない。くるくると移り変わる彼の笑みは、時に柔らかく、時に弾けるようで、飽きることがない。せめてその一瞬を切り取りたくて、真っ白なキャンバスに色を付け、あの美しい金色を、描きこんでいく。
いつか作品が出来上がった時、彼がその絵の前で喜んでくれることで、絵は完成する。
「…また明日な」
彼の嬉しそうな微笑みを楽しみに、キャンバスの中で待つ俺のモナリザにそう言って、そっと美術室を閉じた。