◇貴方と円舞曲を
燕尾服に身を包んだ煉獄が、大階段の向こうで俺を待っている。
黄金の下地に純白の刺繍がされた燕尾服は、逞しい胸元と美しい腰を強調している。しっかりと厚みのある身体を包み込む燕尾服に、黄金色の豪華で華やかな髪がはらりと掛かっているのを見ると、美術品もかくやと目を奪われてしまう。
金環に縁取られた美しいルビーの瞳が、向かいの階段に立つ宇髄を見て、目元を緩ませる。いつもの様に豪快に破顔するのも好きだが、花のように優しく綻ぶその微笑みに、鼓動が高なった。そして、しなやかな脚が優美な運びでゆっくりと進み、キラキラと煌めく髪をなびかせ螺旋階段を降りていくのを、宇髄は宝石箱を見るかのように、ぼうっと見つめていた。
そんな宇髄を見兼ねたのか、隣に立つ善逸が肘でつつく。ほら、早く行かないと。そう言って急かしてくる音は呆れたように聞こえるが、どこか暖かい。
後ろからも、早く行けよオッサンと言って、伊之助が珍しく小声で声を掛けてきた。煉獄の横で、外套を受け取り付き従う炭治郎は、なんとも言えない複雑そうな顔をしている。多分、俺が不安そうなのを心配しているのだろう。
宇髄は胸を張り、鬣を整える。
怪物と恐れられ、銀灰色の毛が身体を覆うこの大きな身だが、煉獄の前に立つとまるで大人しくなってしまうのを、宇髄は自覚していた。
彫りが深く端麗であった自慢の顔は、狼のように野性的な獣の姿と変わっている。醜い、そう自暴自棄になっていた頃が懐かしい。
しかし今は、美しく凛とした煉獄の前に、誇りを持って立っていたいと、強く思っていた。
「煉獄」
階段の踊り場に立つ煉獄の横に立ち、右手を差し出す。煉獄はその手に、そっと己の手を重ねた。手袋越しに感じる温かみ。自分よりも一回り小さいその手を、宇髄は愛しく思った。
「…綺麗だ」
手を取りながらどうにか絞り出した言葉は、陳腐な響きを持って零れ出た。野獣に変わる前、伊達男を自称しあれほど女達に掛けてきた気の利いた言葉は、一言も出てこない。それが実に歯がゆかった。
しかし、たった一言掛けた、その有り触れた世辞に、煉獄はゆっくりと瞬いたあと、うっすら頬を赤らめた。太陽のように眩い存在である煉獄が、頬を上気させ恥ずかしがるその様は、宇髄の胸を一層高鳴らせた。匂い立つような、甘い色香を感じる。深呼吸すると、煉獄の肌の香りを感じた。
そのまま恭しく手を取りながら、螺旋階段を降りていく。煉獄はその手を軽く握り締め、宇髄と足並みを揃えた。
赤い絨毯に、艶のある革靴が沈む。階段を降りると、広々としたホールとなっている。宇髄がまだ人間としてこの館の主人であった頃は、沢山の人々をこのホールに招き入れ、連日パーティを開いたものだった。楽しかった、という意識は最早無い。それよりも、今2人でこの場に居られることが嬉しいと思った。
今日は2人だけのダンスフロアだ。
天井には太陽と星が描かれ、吹き抜けの天蓋には、雲に戯れる天使たちが描かれている。磨かれた床は美しい幾何学模様のタイルで、足を乗せると姿見のように上の様子を映し出した。
ダンスホールの先は、バルコニーになっている。バルコニーに面した壁の一面は、外の光をめいいっぱい入れ込めるガラス窓がはめ込んである。夜空を見上げながら、バルコニーで語り合うのも悪くない。満天の星空の元ではしゃぐ煉獄は、さぞ美しいだろう。
そう夢想しながらホールの真ん中へと進めば、宇髄は理知的に微笑みながら、煉獄と向き合い腰に手をやった。煉獄も背筋を伸ばし、宇髄を見上げながら右手を宇髄の左腕に乗せる。
「君と踊る日が来るなんてな」
「本当にな。まさかお前が俺の館に来て、…こんな姿になった俺を恐れず、傍に居てくれるとは思わなかったぜ」
腕の中の煉獄が、宇髄を見上げながら優しく目を細め言うのに、宇髄は応える。煉獄との思い出は、全て色鮮やかで、穏やかだ。始まりは非常に剣呑だったが、それこそ宇髄も煉獄を信じることなど出来ないと思っていたが、今はただ傍に居てくれるだけでも、嬉しいと思えるくらい、煉獄を愛していた。
「…君が優しかったから」
「煉獄」
「君の傍に居たいと思った。だから俺は今、ここに居る」
煉獄もまた、野獣となってから人を避け、僅かな使用人だけを残して館に籠る宇髄という存在に、惹かれつつあるのを自覚していた。優しく親切で、意地悪なところもあるが、人一倍情に厚い宇髄を。
「…踊ってくれますか、俺と」
「ああ、どうか俺と踊って欲しい」
ダンスフロアで、2人は睦み合う。それは恋人にはまだ遠い、しかし心の距離は踊り合う肌よりも近い、甘い時間であった。
きっとこの時間は、忘れられないものになるだろう。そう2人は思いながら、この美しいひとときに身を任せるのであった。